「グラウンドゼロレクイエム4」ユノ×チャンミン EXO
11月6日
P.M.18:24
ユメコは、スーツケースを手に持ち、
肩で息を切らせている。
「はあ。ふざけんな」
あまり女性らしくはない言葉遣いがその口から出る。
怒りが頂点に達していた。
久しぶりに使った日本のタクシーでは、
運転手が気分が悪いと、ドームの少し手前でおろされた。
でも、服はこんなもので良かったかもしれない。
ノースリーブのワンピースに薄い上着。
全力で走った体は、それでも汗をかいている。
もう曲が流れている。
何曲目だろうか。
これは自分の好きな曲だ。
けれど、そういえばレイはいないのだ。
ユメコは舌打ちしながら、
大きなスーツケースなのも気にせず、会場に入った。
やはり熱気に包まれている。
ライブは久しぶりだ。
その熱気にやっと到着できたという実感が、少し彼女の気分を落ち着かせた。
ライトを持った係員に誘導されながら、
チケットに書かれた座席はすぐに見つけることが出来た。
「ありがとうございます」
と一声かけると、
係員は虚ろな表情で頷いただけで行ってしまった。
怒りが復活しそうになるのを抑えながら、
座席を見ると、白いバッグが置いてある。
ユメコはまた舌打ちした。
「すいません」
手に何も持ってない、隣の女性に声をかける。
絶対、この女だ。
ユメコは苛々しながら彼女を見下ろす。
ライブははじまったばかりで、立っている客が多い中、
彼女は俯いて座っていた。
「あの、このバッグ」
「あ……すいません」
ユメコを見ないので、表情は良く見えない。
けれど、彼女から伸ばされた震える手に、バッグはユメコから取られた。
あまりにも、その手が震えていたのと、せっかくのライブなのに、座ったまま組んだ腕の上で伏せてしまったのを見て、ユメコの苛立ちは消える。
「あの、具合悪いんですか?」
そう言って、ふとユメコは、自分のチケットを切った係員も、青い顔をしていたなと思い出した。
タクシーの、運転手も……。
見渡すと、まだはじまったばかりの会場で、熱気に包まれているとはいえ何か変だ。
声援が、聞こえない気がする。
彼らのライブには何度か来たことがある。
うるさくてこんなものではなかった。
けれど、今、観客の声は聞こえない。
彼らの、歌声しか聞こえない。
白色のペンライトで包まれているはずだろう会場が、
まだらになっている。
良く見ると、座席の下に何本も転がっているのが見えた。
なにか現実に良く似た、夢にでも紛れ込んでしまったみたいだ。
そう思った時、
目の前の彼女が、ぼんやりと自分を見上げた。
それを見て、ユメコは息を止めた。
まるで、彼らのペンライトの色だ。
瞳が、真っ白だ。
その顔がユメコを見て口角を上げた。
深紅の口紅を綺麗に引かれた唇が、自分を見て、嬉しそうに笑った。
それを目に入れたのと同時に、その口が薄い上着しか羽織っていない、自分の肩にかぶりついたのが分かった。
声を上げた。
でもそれは一瞬だ。
その喉元にも、四方八方の人間が、彼女を覆いつくように、次々と喰らいついたのだ。
11月6日
P.M.18:32
音楽は確かに流れていた。
でもメンバーの誰も歌うことは出来なかった。
踊ることも、できなかった。
アイドルがステージに上がるとき、
ファンは釘付けになって彼らを見る。
それが願いが叶った、自分達の仕事だ。
それが今は俺達が、
観客席に、釘付けになっていた。
カイは、呆然と見た。
声援はあった。
最初は。
それが静かになってきて、メンバー全員不安な顔をした。
その静寂を切り裂くように、客席から声が上がったのだ。
でも、それは声援と言うより、
悲鳴に近かった。
曲に乗ることが使命だと、思っている。
踊り続けることが、
歌い続けることが。
けれど、カイを含めメンバー全員が、その光景に、
動きを止めてしまった。
「ねえ、あれ、噛まれてない?」
呟くように、誰かが言った。
こんな大きな会場で、観客一人一人を見分けるのは難しい。
けれど、その光景は、
異常というより、
現実感がなかった。
人の塊がその場所にできていた。
ただごとではない悲鳴に、
メンバー全員が、顔を向けた。
その時には、
そこは、小さく水を飛ばしていたのだ。
子供の水鉄砲のように、ちゃちな弧を描いて飛ばす、
深紅の、水柱。
「やめてください!」
叫んだのは、リーダーだった。
その瞬間。
ステージに向いた。
カイ含めメンバー全員が、固まった。
顔は一人一人が、目に焼き付くように見えた。
東京ドーム、収容人数45000人。
チケット、完売。
その観客が、
同時にステージの上の彼らに向いたのだ。
顔は、いつものような、温かさではない。
むしろ何よりも、熱狂的に見ている。
大変、
美味しそうに、見ていた。
つづく