「ジル・ド・レの住んだ町7」ユノ シウォン チャンミン キュヒョン
薄れていく理性に追いすがるように開かれた襟元を抑える。まだ震える体を引き剥がす。
「男同士でしょう」
振り向いて言いながら、自分の意志は矛盾しているのも分かっている。
でもこんなこと知らない。
ユノは少し視線を落として薄笑みを浮かべたまま、まだらな光の下に立っている。
「チャンミン」
こんなにも自分は動揺しているのに、まるで彼はそこだけ時が止まったかのように、落ち着いている。乱れた自分の髪と、ユノの固く整えられた黒髪が、そのままの二人を表しているようだ。怪訝な目でチャンミンはその光景を見据えていた。
「俺達に、性別は関係ないよ」
独り言のように呟かれる。意味が分からず深く問いたい気分になる。
それは、自分とこの人のことを指しているのだろうか?
更に眉間を寄せたチャンミンに、ユノが上目遣いに視線を上げた。
「今夜0時に、行く」
目を見開いたまま、返事は出来ない。視線を泳がせながら、激しい動機につまる声を振り絞って、
「失礼します」
とだけ言い捨て、チャンミンは逃げるように教会を出た。
その思いに応えるみたいに、馭者は、屋敷へと力の限り走らせる。
忘れていた、はだけた襟元を慌てて直す。
あれは何だ。
先程の行為が蘇る
あれは、あの人は、あの自分は。
チャンミンはいつの間にか口元に手をあて、見開いた瞳をせわしなく動かしていた。
消えない感覚が、己を呼ぶのを感じた。
「おはよう」と微笑んだ人が脳裏にちらつく。
あの氷のような目が見る。
長い指が、喉を優しく撫でた。
滑らかな舌が、首に伝った。
自分が、同じ男に、とても乱れた。
心を占拠されてしまうということは、そういうことなのだ。
だめだと、思うのに言うことをきかない体が何度もそれを再生していく。
体中に病が這うような、縛られていくような、恐ろしい感覚だった。
今夜0時に……
来てしまったら。
チャンミンは、自分の体が、快感さえ再生していくのを振り払うように、馭者に、再度行き先を変えるように告げた。
今日の主人はどこか変だと、首を傾げながら、言われた通りに馬車は方向を変える。
いつの間にか昼は下がって、気温は反比例し上がっていく。うららかな陽気を裂いて、土煙をまき散らしながら二頭の馬が地を蹴った。
「チャンミン?」
ドアの前で、呆然としていたら声をかけられ振り返る。
見慣れた親友が、立っていた。
「どうしたんだよ?こんな時間に」
「ああ……。近くに寄って」
片手に空の檻を携えているけれど、いつもより比較的汚れの少ない綿のシャツとぴったりとしたズボンという服装で、突然の訪問に首を傾げながらも、口の端には喜びを含んで見つめられる。
その顔を見ると、チャンミンは何か現実に戻ってきたかのような安堵を覚えた。
「入ろう。良かったな、俺が腹減って。待ったのか?」
「あ、いや」
自分の屋敷に帰る気にはならず、近くに止めている馬車にも戻る気にならずに、一時間は立ち尽くしていた。友人は元から上がっている口角を上げたままそれ以上聞かず、鍵を開ける。
チャンミンは安堵感と先程の行為に、意識が薄れているようにその手元を見つめた。
「また引っかかれたの?」
「ああ、この前捕まえたのが違ったんだよ。さっきまた似たやつを見つけたんだけど、すごい抵抗されて、逃げたよ。早く網直してもらわないとだめだな」
キュヒョンはとても白く長い指の綺麗な手をしているけれど、年中その手は傷だらけだった。いつもチャンミンはそれを見ると、心なしかその手が憐れになる。けれど今日もその手はあまり気にされていないようだった。家に入る彼に続いて入る。
「変な話があるぞ」
悪戯っぽく笑って友人が言う。いつも彼は自分の気分を上昇させてくれる。書きかけの記事や書類、本が所狭しと置いてあるけれど、それ以外のものが少ない部屋だ。
チャンミンの座る椅子の背をチャンミンに向かって二度軽く叩いて、キュヒョンは暖炉をくべる。
「あ、バゲットしかないけど食うか?ジャムとバターはあるぞ」
「いや、食べてきた」
首を振ったチャンミンは、腹が鳴らないといいけど、と思った。友人の経済状態を気にしたのではない、腹は減っても喉に通らないと思ったからだった。
「悪いな、なんか酒でもあれば良かったけど。でもこの後またさっきのやつ捕まえに行かないと」
「いや、いいから。食えよ」
チャンミンは笑った。キュヒョンは火のついた暖炉を背に栗色の髪に手を置いている。
それからその傷の付いた指先を思い出したように唇にあてた。
「うん。確か紅茶があるんだ、貰ったのが」
「いいよ」と言った言葉も聞こえていないように、台所の埃のかぶった木棚からキュヒョンはまた埃のかぶった陶器の入れ物を取り出して、眉を上げおどけたように目を開いてチャンミンを見た。
チャンミンは噴き出して笑った。
鍋に直接煮出して入れた、まだ葉の残った紅茶のコップに口をつけながら、木苺なのか、小さな種の入った紅色のジャムのついたバゲットを目の前で頬張る友人を見る。
口にパンの残ったまま、傷のついた人差し指が天に向けて差し出された。
「それで、変な話というやつなんだけど」
口元を弛ませながら「うん」と返事をする。温かな紅茶と、いつもの友人が、今現に存在するものなのにチャンミンにはなぜかとても懐かしく感じた。
「あの肉屋の美人な娘がいるだろ?彼女がこの前の夜会で大分酔ったらしいんだよ」
何も言わず、チャンミンは聞いているという頷きをした。
「馬車にも乗らず、どうやら歩いて帰ったみたいなんだ」
食べ終えたキュヒョンは手をはたいて、ジャムの瓶の蓋を閉めた。そしてチャンミンを再び見た。
「そしたら、気づいたら朝で、教会にいたらしい。翌朝帰ってご両親にこっぴどく叱られたそうだ」
ふと笑ってチャンミンはまだ湯気の立つ紅茶に口をつけた。
「酔って、帰りがけにそこで寝てしまったんだろう」
「いや、方向は全く違う。でも変なのはそこじゃない」
チャンミンはまたコップから顔を上げる。キュヒョンは立ち上がって木棚に瓶を置きに行き、また椅子に座り直すと、前のめりになって続けて言う。
「もう一人、この近くに住んでる元貴族の娘さんも、気づいたら夜会の次の朝、同じ教会にいたって」
考えるようにチャンミンは視線を転々と動かした。確かに友人の言う通り、それは少し変な話だと思った。
それからもう一つ。
教会。
チャンミンは何も言わず、面白そうに目を輝かせているキュヒョンの顔を見つめる。
つづく