「This is love comedy.28」ユノ×キュヒョン
自分が、こんなに優しい声を出せたのか、と思った。
呆然としていた瞳が揺れる。
「お前は大丈夫だから、心配することなんて何もないよ」
俺をじっと見つめながら、瞳の揺れる目をゆっくり瞬かせた。
その顔を口の端に力を入れて覗き込む。
「俺なんかにこんなこと言われなくても、十分分かってると思うけど、お前には才能があるよ」
俺から瞳をそらさずに、虚ろな顔で、ぽつりと呟く。
「……なんの?」
「歌、もだし、ミュージカルの才能も?」
俺は少し考えるように視線を上げて言った。
「……声がいいってことですか?」
「まあ、それもあるけど……」
首をひねった俺をぼうっと見つめている。俺は、今までのキュヒョンが思い浮かんでいた。それを再生させながら、目の前のキュヒョンに言う。
「その声の『通り』かな。お前と付き合ってから、お前の声は、いつでも、どこでも、俺には良く聞こえてた。……俺の声は聞こえないのにな」
言いながら、苦笑する。キュヒョンは少し目を丸くして、笑った俺を見つめた。
「それにお前がどれだけ一生懸命練習してきたかも、俺はずっと見てきたから」
黙った顔に、一息ついて、また切り出した。
「キュヒョン。お前の人気が上がったのは、占い師に言われて、俺と付き合ったからじゃない」
動きを止めて更に目を丸くした相手に、言い聞かせるみたいに言葉を続けた。
「お前の努力と、才能だよ」
俺は、大きな黒い瞳、茶色いきのこ頭、元から口角の上がっている口元を、まるで最後のように眺めた。これからも仕事で、会うのは分かっていたけど。
「もう男なんかと付き合わなくていい」
一瞬、胸がつまったのを感じて、唾を飲み込む。瞳を一段と震わせてこちらを見ているのを、安心させるようにゆっくりと声に出した。
「だから、これで別れよう」
キュヒョンは俺を見据えたまま、少しだけ開いていた唇を閉じた。
「キュヒョン」
何も返事をしない。
じゃあ俺の、王道は、ここで終わりだ。
「はい、って言わなきゃチューするよ」
俺の台詞に、その目が瞬いて、閉じた口元が弛んだ。
俺は見ていた。
頬を赤らめて、視線を泳がせた後、意を決したように、
キュヒョンがまた唇をぎゅっと結んだ。
それに苦笑しながら、俺より少し背の低い肩に、俺は手を置く。それから、顔を近づけた。
赤い顔で俺を見るキュヒョンと見つめ合いながら、その唇に、唇を寄せていく
そして、触れる直前。
とめて、小さく笑う。
「本当に、よくがんばったな、キュヒョン」
見開いた目を見ながら、顔を離した。お前はまったく大したもんだよ。
「これからは同じ事務所のアイドルとして、またよろしくな」
唖然としている顔に微笑みかけて、置いていた肩の手を離すと、俺は踵を返した。
キュヒョンの顔を俺はもう、見られなかった。
控室から出て、開けたドアを閉める。片手に持っていたコートを着ながら、腕時計を見た。時間はちょうどだった。
裏口から外に出て、横付けされていたマネージャーの車に乗り込む。
酷い胸の締め付けで、そっと息を吐いた。そのまま座席に体を預けるようにもたれかかる。車は動き出した。
携帯電話を見る。この数か月分の、あいつとのメールのやり取りを目で追っていく。俺の返信は大したものではないけれど、その他愛もない内容は、自分で見ても恋人同士のように見えた。それから、コートのポケットにしまった。連絡はもう来ない。
すっかり日が落ちた車窓からの景色を見ると、あの摂氏零度の寒い日に、俺の控室にキュヒョンが入ってきた時からの自分達が思い出された。
移動車は、大きな橋を通って、空港に向かう。
川に浮かぶ遊覧船と、七色の夜景が、通り過ぎていく。
「変な奴」
呟きながら、その変な奴と恋人の真似事をした自分も十分変だったのかもしれないと思った。思い出は加速するように、どんどんと膨らんでいく。
膨らんで、でも行き場のない記憶の中で、ほんの僅かだけれど、さっきその唇に、キスをしてみてもよかったかもしれないと思った自分は、十分どころか、一番変だったのかもしれないと、思った。
鼻で笑って、軽く首を振った。
いや、俺はやっと、まず言う事を間違えなかったんだ。
つづく