「ちょこっと 最終話」キュヒョン イトゥク バレンタイン短編
「で?」
と、親友に言われて、俺は笑顔になった。
「だから……ゲイかなって」
俺は、出来るだけ冗談っぽい雰囲気を作ったはずだった。言いやすい空気を作ったはずだったのに。
「ちょっと、考えさせて」
と、まるで俺が別れを切り出した恋人みたいな言い方をして、あいつは出て行った。
一人残された。
俺は今、親友がゲイかもしれないと言う疑惑の真っただ中にいた。
なんか異様にバイト先で知り合った男の話を最初は面白そうにしていたのに、いつからか隠すようになったのが、妙に怪しくて。
別に良いんだよ。俺に来られたわけじゃないんだから。でもすごいイケメンなのに、勿体ないとも少し思って。そんな自分の友人のことを考えていた。
「先輩。冷めますよ?」
この店も、良く一緒に来る場所で、今日はあいつではなく、後輩を連れて来ていた。
「あ、本当だ」
スープを飲む。
「キュヒョン先輩。今日チャンミン先輩どうしたんですか?」
親友の名前だった。
「チャンミンは遠いところに行った。色んな意味で」
「そうですか」
でも、あいつとも合コン行ったことあるし、巨乳の子ガン見してたりしたのに。何でこうなったのだろう。
「お前はここにいてくれ」
「でも俺、これから行くところあるんで」
「そう言う意味じゃないけど、え、そうなの?」
まだ午前中だし、これから映画誘うつもりだったのに。
「はい。今日休みなんで」
「休みだから誘ったんだけど」
後輩が笑った。チャンミンもそうだけど、口がでかい。ぎょろっとした目を輝かせて、「じゃあ、そろそろ」と財布から出そうとしたから、
「いやそれはいいけど」
呆然としたまま俺は答えた。大体いつも出してるし。チャンミンもそうな、長い足を立たせて、後輩は行ってしまった。後ろ姿も目立っていた。
あいつ、やっぱり彼女いるのかな。
俺は残りのスープを啜った。
そういや今日バレンタインか。
一人で映画を見ながら気付いて、休日だったからチョコレートを貰う予定もなく、あの子はくれたろうかと思い浮かんだ女の子たちはみんな彼女候補外で、むなしさを覚えた。
チョコレートをもらって告白なんて、高校までは何度もあったけど、大学に入ってはない。
そんなことをしなくても日常的に女の子たちとは接触するし。可愛い子がいたら誘って誘われて付き合ってたけど、そう言えば、前の彼女と別れて俺、一年経ってないか?
気付けば俺、チャンミンやさっきの後輩としか遊んでない。
それって、勿体ない。
そう、思ったら、なぜか俺は上映が終わった映画館で、席を立とうとした隣の子に、
「あの」
と、声をかけていた。
大して顔も見ずに、もしかしたら同行者がいたかもしれないのに。
でも、目を丸くして振り返った顔が結構かわいくてびっくりした。
と、同時にそれが、
「あ、すいません」
女装した男だったからまた俺はびっくりして謝った。まじで心臓が止まるかと思った。
その女男は、俺が愕然としているのを見て、ふと笑った。
「なんでしょうか?」
「いえ、何でもなかったです」
そういう趣味の人達がいるのは知っていたけど、出くわしたことはなくて、本当に驚愕した。
「なんだ。せっかくイケメンに声かけられたかと思ったのに」
完全に偽物な、ゆるくまかれた明るい茶色の長髪を跳ねさせて、がはっと彼は笑った。肌質とか、口元とかやっぱり男で、俺は眉を潜める。年齢も上っぽい。
「嘘だよ。こう見えて俺ノンケだから」
言った口の横にえくぼが出来た。えくぼを見るのも、はじめてだった。
「一人だったら、これからどっか行かない?」
そして、はじめて男にナンパされた。
「あの、なんでそんな恰好してるんですか?」
寒くて、凍りそうなのに、気温の下がった夜に、俺達は、人気がない防波堤を歩いていた。
海に行こうよと言われたから、わざわざ地下鉄から乗り換えて、バスに乗って、こんなところに来た。
帰りは絶対タクシーだ。
工場地帯の明かりが見えている。
「なんでだろうね」
黒い丈の長いダウンコートを着ていると、後ろ姿は女に見えた。
「俺も全然分かんないんだよね」
コンクリートの道を大きなハイヒールがこつんこつんと歩く。
「あそこ入んない?」
振り向かれて笑う顔はやっぱり男で、でもうまく出来ていて美人で、俺は顔をしかめた。
「可愛い顔してるよな」
彼に言われて、複雑な心境になる。辿りついた場末の居酒屋で、牡蠣のスープを飲みながら、焼酎を二人で飲んだ。
「そう、ですか」
女には良く言われるけど。何となく潮の匂いのする店内で、俺は結構飲んだくれて、いらないことまで語った。ちょうど良い相手だったのもあった。
「で、俺の親友は……そうなのかも」
「そうなんだ」
微笑んで、焼酎をグラスに注いでいる。
イトゥクは、チャンミンの話について、方向性を示すことは何も言わなかった。人目を気にして海なんて場所に賛同したし、ここも俺達以外に客がいないのは良かったけど、今他人が見たら自分達はどんなふうなんだろうと思った。まあ、店のおばさんは超不審そうだけど。
「俺の家さ、実は近いんだよ。来ない?」
俺がぎくりと、口をつけていた焼酎瓶を呑む手を止めると、
「俺、ノンケだって言ってるだろ」
と、笑われた。彼のえくぼはいつでも目を引いた。
実家暮らしの自分だから、家が綺麗なのは当たり前だけど、一人暮らしのイトゥクの部屋もまあまあ掃除されていて、自分がもし家を出たら、こうはならないだろうと思った。
女っぽい部屋かと思ったら、大量のCDが棚に並べてあって、デスクトップのパソコンも置いてある、まあ、住んでるのは男だろうと思う部屋だった。
「職業聞いていいですか?」
CDの背を見る俺の後ろに立って、一緒に覗き込まれて驚くと、微笑まれた。
「普通のサラリーマンだよ。アイスあるけど食べる?」
でもきっと、音楽が好きなんだろう。このCDの量は。音源で集められないものが並んでいるに違いない。
「はい。酒も」
「座れよ」
室内で見ると、ニットとスカートの姿は、姉の友人とでもいる気持ちになった。食卓で、出されたものを食べて飲んでいると、「シャワー浴びて来て良い?」と酔った顔で言われて、またぎくりとした。
「そう言うのじゃないって」
俺の返事を聞く前に、可笑しそうに立ち上がって、行かれた。
待っている間は落ち着かなくて、見ててと言われたDVDにも集中できない。
でも映画のチョイスを見ると、この人は、メローなものが好きなのかもしれないと思った。
センチメンタルなんだろう。
「水いる?」
不意に後ろから声をかけられて飛び上がりかけた。そして、振り向いて、目を見張る。
女装が解かれるとこうなるのか。
十分暖房のきいた室内で、Tシャツとスウェット姿で、タオルで髪の毛を拭いている。
俺も時々鍛えてるし、自分の方が背が高いからかもしれないけど、筋肉質なのに、俺より細い腕をして。
耳より長い、こっちは本物の色の抜けた髪。化粧も落とされた肌は、綺麗に光っていた。
えくぼの出た口元。
「安心した?」
肩にタオルを置いたまま、手を止めて言う。
何も言えない俺に、彼は水を出してくれた。
「嫌なことがあってからかな」
テレビ画面を眩しそうに目を細めて見ながら、言われる。電気はついているし眩しくはないけれど、視力が悪いのだろうか。
「でも、だから何で女装とか、分かんないけど」
多分、俺より酒に弱くて、もう全然手をつけていないワイングラスが、前に置かれている。それをあとで飲ませてもらおうと思った。
「その友達は良いね」
正面に座って、テレビからこちらに向いた顔に、俺は目を細めた。
「何でですか?」
自分はさっきから映画なんか見ていなかった。
「セクシャルって、時々びっくりするようなことあるからさ。そんな経験をしたのかもしれないでしょ」
イトゥクの出してくれたワインは甘かった。
俺はもっと甘くない方が良い。色んな味を飲んでみたい、酒好きだし。
今度はチャンミンと、ワインを飲んでみよう。
「そうですね」
「あ、キュヒョン。今日バレンタインだよ!」
笑うと目尻に皺が寄る。そう言えばこの人の年齢を聞いてない。この目元は別に年齢とかじゃないだろうけど。
あ、もう昨日か、の次に、
「チョコあるよ?」
と言われて、俺はぎくりとした。
まじまじと正面の、男を眺める。
「また警戒してるよ」
肩を震わせて、笑っている。
ぎくりとしたそのわけを、この人が聞いたらどう思うだろう。
そのチョコが、愛の告白かと期待した自分に、彼が言うような「びっくり」をしたこと。
その腕が自分の首にまわって、えくぼのついた口元が俺の唇に近づいたら、なんて妄想を抱いた自分にびっくりしたこと。
「してないんで、下さい」
俺は明日にでも、親友と話す必要がある。
お前がゲイかなんかはどうでもいいから。
このバレンタインから生まれた、驚愕の恋の話について。
努力の甲斐あって、成就させた1か月後の俺の話は、またその時に。
『ちょこっと 最終話』おしまい