夢の続き

東方神起、SUPERJUNIOR、EXO、SHINeeなどのBL。
カテゴリーで読むと楽です。只今不思議期。

「ぼくらが恋した貴方へ 5(「All night long」)」(北村一輝の場合) ジョンヒョン(CNBLUE)


俺は、顔をしかめる。仕事だった名古屋から、一日大阪の実家に帰って、また東京に戻ってきた。
こっちに来れば少しは涼しくなるかと思いきや、見当外れもいいとこだ。この数日でまた暑さは増して、真昼の外を行き交う人間の殆どが半袖を着ている。
「北村さん。すいませんでした」
サングラス越しに見るマネージャーの顔もどことなく日に焼けている。
「いや、全然」
駐車場に空きがなくて、本当に申し訳ありませんと手間取った時間はたった五分だった。独りでラウンジで待つのも馬鹿らしく、出口付近まで降りた。
短くない付き合いなのに、他人行儀で神経質な男はわざわざ運転手の元まで向かってから、また戻ってきた。
「このまま六本木に行きます」
助手席のドアを開けながら、上を行く旅客機の騒音で、怒鳴るように声を出した相手を見てから、とりあえず車内に入った。
「フジじゃなかったの?」
静かでエアコンの効いた中、前に向かって声を出す。
「前のスタジオ撮影おしてるみたいで、次のロケ撮を先にしたいそうです」
「そうか」
先にそっちを持って来るのかと、高速道路脇の風景を見ながら、準備していた頭を切り替えた。
高架下の六本木交差点に差し掛かって、近くにある最近足を運んでいない店を思い出した。
だけど、今日は深夜まわりそうだな。
それで諦めた。けど、意外にもまわらなかった。次の撮影現場が、そのままトラブルで中止。夕方には終わってしまって、マネージャーが「送ります」と自宅に送迎しようとする行き先を、変えてもらった。
会員制の店だったから行きに予約をした。ワンフロアーを貸し切った店内は広いけれど、カウンターはそこまででもなくて、エレベーターを下りて小石の敷き詰められている廊下にかかった橋を渡りながら、案内される。
着物姿の女の店員を見ながら、やっぱりやめれば良かったなと後悔した。
そう言えば、ここから足が遠のいた理由は、こういういかにもな店だったからだ。若い頃は嫌いじゃなかったけれど、40も過ぎれば、華やかな店よりも、家庭的な店が落ち着く。大勢いればどこでも良いけど。
ここの寿司は美味い。けど一人で来るならここじゃなかった。
お久しぶりですね、とカウンターを挟んで声をかけられながら適当に注文して、女と来たいなと思った。
だけど、思いながら、その相手は思い浮かばない。離婚してから、この前付き合った一般人ともすぐに別れた。若い彼女の期待に応えられないと思ったからだ。もう一度結婚して欲しいと言うその期待に。
でも、やっぱり美味いよね。
ぱりぱりした良い香りの海苔の巻かれた雲丹の軍艦を口に運びながら、顔が弛んだ。
それに結婚するなら、良く笑う女が良いと思い直したのと同時に、思い出した。
数日前、久々に降り立った名古屋。今回は撮影だけで終わったけれど。
あの時は、変質者かと思った。
深夜に、横に並んで歩く女性達のあとについて行く色の白い青年を、名古屋駅の近くで見た。
でもどうやら、それは思い違いだったようで、青年は友人らしき人物と引き返して行った。それよりも、その女たちの一人が良く笑っていたと、どこかそれを良い女だと感じたことを思い出した。だからもしかしたら青年は、俺の想像通りだったのかもしれない。
良く笑っていたのは確かだったのに、彼女が履いていたヒールのあるサンダルしか思い出せないのは、年齢のせいではなくて、その光景が一年前の、丁度今頃のことだったからだろう。タクシーなんか捕まえずに、俺も尾行でもすれば良かったかと酔って来た頭で考えた。年下だろうけど、下過ぎるのはもう当分良い。あれくらいが良い。
酔ったな。
トイレに席を立った。
また橋を渡って、店の奥に向かう。
男女に分かれた個室に入って、用を足して手を洗う。鏡を見た。
子どもの頃から、濃いと言われていた顔を撫でた。
老けて、一層濃くなったと思う。幅のある二重の目は加齢で少しは日本人的になったかもしれない。だけど、口の両側の皺も地黒の肌も、自分で見ても、やはり濃い、純粋な日本人なのに、こういうのは日本ではほぼ出会ったことがない。
そう思いながら、ドアを開けて、立ち止まった。
あれ、いるやん。
殆ど出なくなった方言が出た。声には出さなかった。
幅の広い二重の目が見開いて、こちらを見ている。
まじまじと俺の顔を見つめているのが分かる。
年齢は大分若いけれど、自分と良く似た顔があった。
目の前で立ち尽くしている。
「似てるね」
自然と口から出た。
「あ……」
と返事した声の出し方で、外国人だと分かった。そう言うことか。
ごめん、気にしないで。
英語を使った。習ってて良かった。
「あ、日本語大丈夫です」
俺も背は高い方だと思うけど、もっと高い。
鍛えている自分よりも厚い、半袖シャツの胸板から屈強さが分かる。
発音から韓国人だと、思った。
「上手いね。韓国の人?」
「はい」
「日本は長いの?」
「あ、ちょっとトイレに」
「そうだ、ごめん」
苦笑しながら、脇にずれた。そろそろ帰るかと酒臭い息を吐いた俺に「あの」と後ろから声がかかった。
振り向くと、「すぐ終わります」と、会釈してドアを閉められた。
じゃあ……待つのか?
俺はそこで立ち尽くした。
確かにほどなくして、流水音と一緒にドアが開いた。
「あ、日本で仕事をすることが多いんです」
いきなり会話の続きをされて、ふと笑う。
この顔の感じと、ここにいること。恐らく同業者だろうとそのまま口元を弛めた。
その俺を見て、彼も微笑んだ。
二人で微笑んでいると、恐らく彼の通訳かマネージャーが韓国語で呼びに来たから、
「じゃあ」
と、少し残念に思いながらも踵を返す。
「待って……」
また振り向いた。
言いにくそうにこちらを見て、呼びに来た人間と二言、三言会話したと思ったら、その人間が俺を見た。
「もう少し会話がしたいらしくて、断って頂いて問題ないですけど」
彼と同じく流暢な日本語で、言い方からしてマネージャーだろう。
言葉を理解している彼は不安げにこちらを見ている。
面白くて、来て良かったと俺は破顔した。
「いや、断らないよ。一人で来てるから丁度良いし」
廊下の向こうで、部屋から出て来た団体を見て、「俳優なの?」と彼に言った。知った顔がいる。あのカメラマンは映画だ。
「いえ、あの」
言って良いものか、マネージャーの顔色を彼が伺う。マネージャーは俺を足の先から頭のてっぺんまでじろじろと、品定めした。
「俺は俳優です。芸能人」
片手を軽く上げて、苦笑しながら、告白した。自分の知名度も海の向こうまでは届いてないか。
あ、と申し訳なさそうに彼が「すいません。俺はミュージシャンです。日本の映画に出ました」と言う。
それから、マネージャーらしき人物に何か告げると、その人物は眉を寄せながら、渋々と、団体に戻って行った。
彼と取り残された。
「知らなくて、ごめんなさい」
似た濃い顔がしゅんとしている。
「それは構わないんだけど、ここで会話する?トイレの前面白くて良いけど」
え?と言って楽し気に笑った。
彼の宿泊先のホテルが近かったこと、あの心配そうなマネージャーのことも考えて、この店で飲み直すよりも、マネージャーも一緒に移動して、そのホテルのラウンジで飲もうと提案した。俺も利用したことのある大きなホテルだから、酒はそちらの方が美味いだろう。
彼が独りでどこでも動くことができるなら、良い店は沢山あったけど、今回は制限が多すぎた。
「さっきはすいませんでした。あなたが出てる映画見たことありますよ」
付き添いの男性がタクシーの助手席から後部席の俺に向いた。
「そうなんですか?」
俺の隣で、日本語で話しかけている。
本当に上手いなと横目に見ると、こちらににこっと微笑む。
自分より鍛えている感じなのに、俺と似たような半袖の、緑のシャツから出ている肌が白かったり、なで肩のせいか、何となく女っぽく見えて頭を振った。
二次会は抑えて飲もう。
それに自分とどこか似た男に変な気分になるなんてナルシズムもいいとこだ。
髪型もちょっと面白いんだからと、その頭に目をやった。
「あ、これ?」
すぐにそこに手をやって、髪をつまんでいる。
敏感だな。お国柄なのかもしれないけど。
「切られて」
と、困ったような顔で言うから、俺の方が困って笑ってしまう。
何歳だろうか?まあ20代だろうな。
ホテルに着くと、二人になった。
「バーもありますけど、ラウンジで飲みますか?」
「じゃあバーに行こうか」
ここのバーは眺めがいいから。
「俺の部屋でも大丈夫です」
「え」
素っ頓狂な声を出した俺を、不思議そうに首を傾げて覗き込まれた。
これは普通か。この子には普通なのか。
「あ、えーっと。俺は別にどこでも良いけど」
この年になって自分もいろんな経験してるのに、まだ慣れないこともあるな。
「ギター俺弾きますよ」
歌も歌えます、と微笑まれて、それは俺に歌を聞かせようとしているのかと困惑する。
「あ、違います。もし良かったらって思っただけだから。聞いてってことじゃなくて」
バーに行きましょう、と顔を赤くして言われて、苦笑した。
勿論誘われてるなんて思っていない。でも、韓国の男って時々こういう感じあるんだよな。誤解する人間はこっちにはいるだろう。
「とりあえず、バー行こうよ。いつもこのホテル使うの?」
先に部屋に戻ったマネージャーの後に続くように、エレベーターに向けて歩き出した。
「いえ、昨日と今日がはじめてです」
「バー行った?」
「まだ」
「色んな酒揃ってるから、好きなの何でも飲みなよ」
「あ、はあ」
ありがとうございます、とまた頬を赤らめてこちらを見る。
相手はそんな気ないのに、自分の方が何かに目覚めそうだと、複雑な笑みを浮かべた。
「タワー見えますね」
「うん」
四方が硝子張りの壁際に座るとカップルのようで、苦い顔で頬を指で掻く。
東京の夜景が、夢みたいだった。俺も長いなと思った。通天閣を昨日も見たし、それを懐かしく思うことはあるけど。
「これは消えますか?」
「なに?」
「ライト」
外の赤いタワーに指差している。ギターを弾くと言っていた指は、長くて綺麗だけどそれなりに男っぽかった。
「ああ、今は一晩中ついてるよ。前は消えてたけど」
「そうなんだ」
ほっとした顔をして眺めているのが、無邪気に見えた。
「あの」
「ん?」
「この中で、一番弱いのどれかな」
英語で書かれたメニューを見ながら彼が呟く。
「あ……」
その顔を見る。勝手に酒が強そうだと思ったのは、韓国の男が肉食で、酒が強いイメージだったのと、まるで自分の若い頃のような顔をしていたからだ。こんな白っぽい肌ではないけど。もしかしたら、さっきの店でも飲んでないのかもしれない。そう言えば、全然酔った顔をしていないと今気づいた。
「ごめん!」
「え、あ」
俺が謝った理由を分かっているのか、「何でですか?来たかったし。少しは飲めます」と変わった髪型の頭に手をあてて、慌てている。
「あと、あなたには美味しいお酒飲んで欲しかったし」
困ったように笑った。
それでこのバーに来てなくて、ギターを聞かせようとしたのか。それを理由に酒なしで話そうとしてたのかもしれないけど。
これは悪かったな。
「本当に来たかったから。景色すごく綺麗だし、俺は嬉しいです」
それから、あ、ジュースもあると彼は指差した。
「ごめんね。多分これ全部フルーツジュースだよ」
俺もメニューを差した。
「美味しそうだ」
睫毛の長い目を拡げて見せて、明るく言われた。俺は申し訳ないけど、そんな気遣いのあるこの青年が言うように酒は欲しくて、とりあえず頼んだ。
「美味しいですか?」
「そっちの方が多分美味しいよ」
丸い氷を溶かしながら飲んでいると、搾りたてのオレンジジュースを飲んでいた彼が、あはっと声を出して笑う。
不思議だなとに思った。
顏は似てるのに。
鼻にかかった俺の声は甲高いのに、彼は太く低い。年も年だし、俺は俳優のキャラクター的に逆だと有り難いけど、こういう声で歌われたら女はたまらないだろうな。
「彼女いるの?」
 「え」
いないです、と赤い顔で視線を泳がしながら困る仕草も可愛いのにな。
 「ああ、沢山いるパターンね」
 「そんなことはしないです!」
このくらいの男とは良く飲みに行くけど、彼らより何となく幼い気がする。言葉のつたなさだけではない。いや、日本語は十分だし、彼も適当に遊んでいるだろうけど。
 「一輝さんは恋してますか?」
 微笑まれた。まるで若い頃の自分に言われたみたいで可笑しな気分になる。それに最近名前で呼ばれることはあまりなくて、話題もそうだし、がらにもなく少し照れくさかった。
 「あー……恋ねえ」
俺の返事より、気になるみたいで窓の外を感動しているように見ている、目元の堀が深い横顔を眺めながら、あれは、そうだったかもなとヒールのサンダルを思い出した。
だとしたら、俺はこの一年間、良いと思う女と遭わなかったのか。この前の彼女も、そんな大した恋愛じゃなかった気がする。47と言う年齢で思春期みたいな恋が出来るなんて思ってないけど。
「一年前にしたよ」
夜景から、こちらを見る。
「一年前ですか。一輝さん格好良いのに」
「ありがと……」
この職業を選んだ時点で、濃いと言っても顔に自信がないわけじゃないけど……
恐らく同じ理由で俺たちはお互いの顏を見て黙った。
「似てる人に言ったらだめでした」
気まずそうに彼が沈黙をやぶって、俺たちは笑った。
 彼は俺の日本語をほぼ完全に聞き取るし、もともと勘も良いのか、自分は良く笑って楽しんで、抑えようと思っていた酒も進んだ。
こんなこともあるのかと、鮮やかだけど、どこか寂しい夜の東京の風景を眺めた。
「じゃあ、歌聞かせてもらおうかな」
同じように見ていた隣に言うと、にこっとこちらに笑顔を向けた。
「聞きますか?」
「でももう0時過ぎてるな、明日仕事は?」
腕時計を見た。
「俺は大丈夫です。一輝さんは?」
「明日は午後からだから。とことん歌ってよ」
噴き出して笑う彼を見ながら、名前で呼ばれることにまだ慣れずに、何となく今顏赤いなと思ったけど、酔いのせいかもしれなかった。酒は強い方だけど、最初は一人だったし、ピッチが早すぎた。
綺麗に磨かれた白い廊下を、昨日の分だけの着替えが入ったボストンバッグ片手に酔った身体で歩きながら、前の厚みのある肩から背中を見る。
このがたいで酒が弱いとは思わないよな。一人で笑っている俺に気付かず、ミントのタブレットを口に放り込んでいる。むしろ酒臭い俺だろ、と酔った頭で思いながら、ミュージシャンと言ってもアイドルみたいだし、癖がついているんだなと眺めた。
「俺にもくれる?」
手を伸ばすと、振り向きながら、はにかんでざらっと掌に出してくれた。
案内された部屋は最上階で、少し驚く。
結構扱いが良い。俺もここでは最上階に泊まったことはなかった。泊まることは出来るけど、仕事では機会がなかった。
恐らく硝子ばりの壁はカーテンが閉まっていて、静かな場所と暗めの間接照明に落ち着いた。
「水飲みますか?」
窓辺のソファー椅子に荷物を置いたまま、ぼうっと立つ俺に心配そうに言われた。
「もらえる?」
「どうぞ」
冷蔵庫からミネラルウオーターのボトルを出してくれた。
あれか、と向こうで開いたドアから見える寝室に、横になっている黒いギターの箱を見ながら、良く冷えた水を飲む。
ボトルをソファー椅子で挟まれた小テーブルに置いた。
役柄で最近はいつも、肩まではつかないくらいに伸ばしているうざったい自分の黒髪を掻き上げながら、「じゃあ、弾いてもらおうか」と笑って言うと返事がない。
不思議に見ると、入口に近い大きな黒い冷蔵庫に頭をつけてもたれて、こちらに微笑んでいた。
少し首を傾けて俺も微笑むと、苦笑しながら冷蔵庫から体を起こした。
「どうしたの?」
「どうしようかなって思ってます」
口元に軽く白い手を充てて、俯き加減のまま、目だけ俺に冗談ぽく困った風に向けた。若い頃の俺に似てると思ったけど、もう少し彼は儚い。大きめの緑のシャツから出ている首元は俺より筋肉がついているのに。
「何を?」
「一輝さんが男に興味ないみたいだから」
思わず真顔になった俺に、そのまま困った微笑みで上目遣いに見ている。
暗いオレンジの間接照明の中、見つめ合った。
「分かってたろ?」
「はい」
口元の手を下げて、穏やかな笑みを浮かべたまま少し俯いていた顔を上げられる。
「ゲイなの?」
「厳密に言えば、バイセクシャルです」
言葉遣いが更に流暢になったみたいだ。
「俺は悪いけど男は無理」
「だから、どうしようかなって」
思って、とそこで途切れた。
俺の方がどうするかと、その体格にしては小さな口元に開き直った笑みを浮かべる顔を見つめる。その口は、長めのくっきり唇の形が出る俺のとは違う。
「こんな年上相手にしなくても良いだろ」
「俺は、そこまで最初あなたが似てるって思いませんでしたよ。ただ」
良いなって思ったから。と視線をそらさずに言われた。そのきつい目元は……似てる。
絶句している俺を、相手ももう笑わずに見ている。
一瞬。この男とどうにかなる自分を想像したのは、職業病と言っても良いかもしれない。これが仕事なら、男と絡む演技なんかどうってことない。現にそんな役作りのために、男に咥えられたり、自分でも咥えてみたことがある。勿論良い気はしなかったけど。
若い頃、歌舞伎町でバイトしてた時も二丁目は近かったから、そんな男達と接する機会だって多かった。
でも、今はそれは必要じゃない。
「歌ってくれないの?」
「歌いたいですよ。あなたのために」
俺が狼狽えた表情を見せていないのは演技だ。
こちらを冷静に伺いながらも、切迫さが滲む顔で「でも、その前に……少し」と続けられた。
「したくて」
ゆっくりと深呼吸を一度する。
そのそらされない眼差しに、そっと息を呑んだ。
こんな若い男に、まるで獲物のように狙われる目をされている。
「何もできない」
「気持ち次第かも。男に興味ない人としたことありますよ。気持ちよくなってくれました」
それはどういう状況なんだよ、と思いながらもその語力に圧倒されそうになる。
「日本語すごいな」
「演技してたわけじゃなくて……好みの人には緊張するでしょう?」
この年で女みたいに喘がされるのもたまったもんじゃない。
「ごめんね、帰るよ。意見の相違だ」
最後は理解できないだろうと思ったけれど、もう良かった。その横を通り過ぎようとすると、「待って」と声がかかる。
この「待って」のせいでこんなことになったと思いながらも、今まで楽しかった時間は本物で、性的嗜好一つで毛嫌いすることもなく、また足を止めた。
隣に立つ俺の肩口に顔を向けて言われる。
「最後まではするつもりはないです。大変だし、時間かかるから」
「無理だよ。悪いね」
「キスは?」
言われて、俺は口を閉ざしてしまった。楽しかった時間の礼にそれくらい我慢できるだろうと酔った頭が情けをかけだした。
どうするかなと、横を向いて、その顔を伺った俺は、近距離で見る切実な目に、再び言葉を失う。
良い、と思う感覚は、殆ど恋をしたと言うことだ。周りの人間はそれに気づくのに、当の本人はいつも初めは気づかない。
それが一年前と言う貴重さを身をもって知っている俺は、その想いに少しは応えてやるべきか、気付かせずに終わらせるべきか、その顔を凝視しながら、逡巡する。
けれど、そんな俺に寂しそうに笑って、踵を返してドアのロックに手を伸ばした姿に今度は自分の方が声をかけてしまった。
「少しだよ?」
その手が止まって、ゆるりと振り向く。
「それから、これで終わりはやめよう。こういうの無しでこれからも」
と、言いかけて、俺は、自分はまだまだだなと思った。目の色が変わったのが明らかに分かる男に完全に入口を塞がれて、立ち尽くす。
俺に似た影のできる濃い目元が、更に瞳孔を開いたように自分をとらえている。
男の欲求が戻った目を、男の自分に向けられて、思わず乾いた笑いが出てしまいそうになった。
これは少しで終わるのか、と鼓動が音を立てた。「分かりました」と、こちらに足を向けられる。
視線を泳がせた俺の髪にうなじからいきなり両手が差し込まれた。
女とは違って逃げられない力と、久しぶりに仕事以外でする触れ合いと酔いに、思考が停止した。
上から唇で塞がれることなんてそうそうなくて、驚きから開いてしまったその口に合わせて、食われるように更に唇を押し付けられる。
爽やかな香りのキスに、思わず相手が男だと忘れかけて、身構えた身体の力が抜けそうになった。
舌を入れて来られるのが分かって引こうとした頭は掴まえられていて、そのまま入って来る。見開いた目は、至近距離で熱く強い眼差しと合わさって、それも捕えられたようになった。
喉から声を出して、離そうとしても、更に力を込められるだけで、話にならない。自分の体が一度痙攣したのは、その片手がシャツの中に入ってきたからだ。
もっと目を拡げると、火が付いた食い入る瞳がこちらを見ていて、唖然とする。最初から胸の一か所だけをひっかくようにして来て、本意ではなく声が漏れた。
下半身が不穏になりそうで、これは本格的に逃げようと引いた腰を、頭から離した手に抱かれて、後ろの壁に音が出るほどの勢いで押しつけられて、続けられる。
俺だって十分鍛え上げてるのに、若さとアルコールの入っていない正常な力の動きで、格が違う。嫌な汗が出て来る。
ベルトに手をかけられて、やめろと言った口が塞がれて、出した手首が顔の横に叩きつけられた。
舌が絡みつく。
想像以上で、膝で蹴ろうとした間に割って入って来た片膝で、体を持ち上げられた。
呻きながらも、抵抗を忘れるほど、がたいも悪くない自分がそんなことをされると思わず、床につかない足を揺らすこともしない。
呆然とした俺のベルトが手早く開かれ、直に掴まれ、外に出された。
そこを見た自分達が目を合わせた。
瞳孔が開いたような目は嬉しげだ。
やっと離された口で言う。
「おじさん解放してよ」
はあと荒い息を吐いて、獰猛な目に戻って行く。
「なんか抑えられないんです」
またキスが繰り返される。
引っ掛かれて、時々掴まれて、完全にそこが形を変えるほど襲って来る快感と、酔いで意識が朦朧としてきた俺の反応に、膝から下ろされる。
抱き締められて「場所を変えたい」と、熱のこもった口調で言われた。
「もう無理、本当に」
その体を押しのけて、開いている下半身の前をおざなりに閉めながら、よろける体で失念していた荷物に向かう。
けれど、一人掛け用のソファー椅子に置いたそれに前屈みになって、手を伸ばす前に、
「本当にすいません」
と、向こうで呟いている人間を見て、その体勢で溜息をつく。
自覚したのか、していないのか、俺の恋なんて可愛いもんだったと半笑いをした。
ダウンライトの中、表情無く視線を落としたまま、面倒そうに、片手で自分のシャツを開きながら歩いて来る。
脱いだそれを床に放って、盛り上がった筋肉をまとった白い上半身をさらけ出した若い男を、諦めた目で見つめる。
俺の正面で立ち止まる。
「一輝さんが、良いんです」
無表情に見下ろして、呟いた。
これは、分かってるな、と思いながら、
「悪いけど」
と姿勢を直した俺の腕が掴まれる。
「まだ、終わってないから」
「ジョンヒョン」
呼んだ俺に腕が回される。
「少しって言ったろう!」
身をよじってもがいた俺を後ろから抱き締めて、呟かれる。
「意見の相違ですね」
自分の甘さに強く目を瞑った。後ろから簡単に俺のシャツを開かれる。
「無理だって」
力のない声に構わず、おざなりに閉めた場所にも手を伸ばされて、その手を掴みながら、恥ずかしくも助けを求める人間を頭が探し出した。
握られて、声が出る。
しごかれながら、誰も出て来ず、最後に浮かんだのはヒールのサンダルだった。彼女に助けを求めるようにカーテンを掴んで、吐息が出た。
そのカーテンを後ろから思い切り開かれる。
逃げ場を失った手が上から重ねられた。
息を呑むほどの夜景の中で、輝いている。
痙攣しながら絶えず声が出てきた俺の耳元に、息がかかって、
「一晩中見れますよ」
低く言った。







『ぼくらが恋した貴方へ 5(「 All night long 」)』(北村一輝の場合)』おわり







ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
これにてシリーズは終わりでございます。alohaさん本当にお誕生日おめでとうございました!シリーズ全て読んで下さった読者様にも感謝。

×

非ログインユーザーとして返信する