「そういうこともある 6」ユノ×チャンミン
~Cside~
「気持ちいーなあ」
自分より長い、黒髪が風に揺れている。
その横顔を見ると、この人はやっぱり格好良いなと思った。
「たまに来るんです」
切れ長の奥二重が、本当に気持ち良さそうに閉じられている。
その顔を撫でている潮風が羨ましくなった。
いつの間にかぼうっと見ていた僕に向かれて戸惑った。
「どした?」
笑われて綺麗な歯並びが見える。
下唇が厚い。
「あ、いえ」
今、僕はもしかしたら耳まで赤いかもしれない。
そんな自分達の頭上を、旅客機が飛んで行った。
旅に出たい。
海に来る人たちは、そんな思いから来ているのかもしれない。
その思いを乗せるように、ここは旅客機が行く。
「すいません、いきなり」
「さっきからそればっかりだろ」
爽やかな笑顔が眩しくて仕方がないのは、今が勤務時間じゃないから。今日が、平日じゃないから。
今僕は、休日のこの人に会っている。
「嬉しかったよ」
港町を歩く、Tシャツを着た人。
はにかんだ顔は、俳優みたいだと思った。
何でこんな人が結婚していないんだろう。
浮いた噂も聞いたことがない。
聞きたくは、ないけれど。
「僕はもっと……」
嬉しかったです。と言う言葉は飲み込んだ。
それは必要ない勇気だと思った。
でも続きを言わないと可笑しくないだろうか。
切れ長の目が僕を見つめた。
鼓動が早くなる。
あ、どうしよう。顔が、また。
「もっと、早く、ユノさんと、遊んでみたかったです……」
「光栄だよ」
多分、これ以上なかったほど赤い顔は変なのに、それをなかったことにしてくれるようにさらりと返事をされる。
自分も半袖にすればよかった。
薄いけど長袖のトレーナーが暑く感じる。
「東仁川なんてなかなか来ないからな」
「いつもどこら辺に出かけるんですか?」
その顔が考えるように上を向く。そんな何気ない顔にも釘付けになる。
「うーん、結構色々かな。いつも休日はどっかに出かけるようにしてるよ。昨日は南山に行ったかな」
そう言えば大学がそこだったっけ。
僕も、行ってみたい……って言ったら気持ち悪いだろうか。
コンビナートが続く海沿いを歩く。
このまま仁川まで行って遅い昼食を取ろうと思った。
「何食べますか?」
フェリーターミナルから、一艘出港している。あそこから出るフェリーは行き先が中国が殆どだ。あれはどの町に向かうのだろう。
「あったかい麺がいいかも。ちょっと寒い」
あ、やっぱり寒いんだ。そうだよな、Tシャツはまだ早い気がする。でも、僕は暑いけど。
「チャイナタウンでもいいね」
「中華ですか」
「うん。嫌い?」
首を横に振る。
あまり食べたことはなかったけれど、もう何でもいいと言う気持ちにさせる。
きっと何でも味が分からないだろう。
でも、チャイナタウンには行かずに結局、工場地帯にぽつんと一軒建っていた面白い麺屋に入った。
そこであさりのカルグッスを二人前とビールを注文した。
明日も会社だから早めに切り上げるんで、とメッセージで送ったのは自分だ。
ここから飲んでしまおうと思ったのは、僕だけじゃなかったみたいだった。
ユノさんは僕の話をずっと聞いてくれる。
気持ちの良いクッションのようだった。
こんなに上手く聞いてくれる人を、そっちじゃなくするなんて、酷くないかな。
お酒が入ると、見つめ合うことが増えた。
会話がなくなっても、全然苦じゃない。
何だか分からなくなる。
まるで自分達は、想いが通じ合っているような気がする。
いや、だめだ。
この人は違うんだよ。
高鳴る胸を抑えるように、また会話を見つける。
「あ、ユノさん、映画とか好き、ですか?」
「え、うん、好きだよ」
少し瞳が丸くなった。濡れたような綺麗な黒い瞳をしている。
「あ、じゃあ今度映画行きませんか?」
そう言った瞬間、その顔がすごく嬉しそうに微笑んだ。
高鳴る胸に声が詰まる。
もしかしたら、……酷くない?
いや、でも、会社の人で、上司だから。
でも、もし、酷くなかったら?
ああ、分からない。
僕は一体どうしたいのだろう。
分からない時間はあっという間に過ぎて、少し遅くなってしまったくらいで、自分達はそこを出た。
びっくりするほど長居した。
もうすっかり日が暮れて、夜も更けている。
駅まで、また歩いた。
会話は少なくて、その分、心臓が五月蠅いほど音を出していた。
ちらっと隣を見ると、またあの横顔が目に入った。
空を見ている。
小さな原色の光だけになってしまった飛行機が、また誰かの気持ちを乗せて一機飛んで行く。
旅に出たい。
もし、それが二人でだったらその気持ちは違うのだろうか。
そんな気持ちは乗せて行ってくれないだろうか。
乗せて行って、そのままこの高鳴りと一緒にどこかへ消して欲しい。
でも、それは出来ないと言われたみたいに、
フェリーの汽笛が聞こえた。
つづく