「そういうこともある 5」ユノ×チャンミン
~Yside~
久しぶりに南山に行った。
「なんか、俺達がいた頃と変わんないな」
駅の近くの豆腐料理屋で大学の同級生と会う。
「ここら辺はな」
「でも、値段は上がったぞ」
俺がそう言うと、呑気な笑顔を向ける。そう言えば、こんなに優しい顔をしてる奴だった。
「食おうぜ」
「おー」
優しい顔をしている奴が箸を手に取る。
「でも、お前が結婚してないなんてな」
何気なく呟かれた言葉に、小さな鉄器に入れられた温かい豆腐の一品を掬おうとしていたスプーンを止める。
その話題はどこでも俺についてまわる。
「……うん。お前は?」
笑って言った。
「俺もだよ。全然だめ。この前彼女にふられた」
「そうか」
止めていた手を動かした。
味も少し変わったかもしれない。
昔より、味気なく感じた。
「なあ、ユノ」
「うん?」
「久しぶりに大学顔出さねー?」
自分の学生時代がまるで昨日のことの様に蘇る。
いつでもきらきらとしていた青年達がいて、でも少しだけ仲間達には言えない事情を抱えた俺がいた。
酒を覚えて、学校近くのここじゃない、もっと安い、特にスンデの美味いいつもの店に何かあればすぐに集まって、でも勉強に追われて、好きなことは試験の後に同じ大学じゃない自分の恋人と、引大のナイトシアターに行くこと。田舎から出て来た自分には、ソウルの何もかもが新しかった。
院に行こうか迷ったけど、結局行かなかった。
「おー、いいよ」
南山のふもとにある大学は、都会では珍しく沢山の緑に囲まれている。
でも、自分の郷里を思い浮かべることはなかった。
緑にも種類があると、ここで知った。
「先生いるかな?」
パーカーでジーンズ姿の友人が呟く。
キャンパスを歩きながら、校舎を見て行く。
校舎は全く変わっていなかった。
少しすすけた灰色に近い外壁の周りにも幾つもの木々が植えられている。
今はどの葉も濃緑色だ。
自分の学部が一番使う校舎に入る。
リノリウムの床をきゅっきゅっと音を立てて、見たこともない後輩達が、まさに青春を謳歌しているような顔で通り過ぎて行く。
その顔に、大学を出てそれほど経っていないあいつの顔を思い出した。ぱあっと輝くような笑顔は、青春の面影を残しているのかもしれない。
お世話になった先生の部屋にお邪魔した。相変わらず研究書に埋もれたような部屋だった。
厳しい教授だったのに、自分達が訪れるとあの頃には見せたことのない相好を崩した顔をして喜んだ。
近況を報告したり、駅に近い有名な菓子屋で買った焼き菓子の詰め合わせを渡す。
「会社が近いと、またお前ら悪さするんじゃないか」
そう言って笑った。
それに寂しさを覚えた。
俺達は、そんなことは一切なかったと言っていい。元気は良かったかもしれないけれど。
自分達には数少ない恩師の一人だけれど、先生には沢山の生徒の一人だ。それにもう定年も近い。
時の流れが、色んなものを曖昧にさせている。でも、その記憶の中には確かに俺達は存在するし、そこに確かに自分達はいたんだ。
キャンパスを出ても、まだ日が暮れる様な時間じゃない。
お互い思うところは同じだったのか、似たような寂しさを抱えた顔をして、友人が呟いた。
「タワーものぼろう」
大学の正面から出ているバスに乗って、山の上にある観光名所に向かった。
この時期はヤマユリが至る所に揺れている。
外国の観光客も随分増えた。
自分達の学生時代は日本人が多かったけれど、今は欧米人と中国人が多くなった。
バス乗り場から山道を少し歩いて、到着した。
半袖のシャツで良かった。汗をかいた。
息切れもしていて、それには「まだ30だぞ」と省みた。
別料金を払ってタワーの上まで行く。暗い中で独特な光の演出があるエレベーターに乗ると、子供のように友人と顔を見合わせる。
最上階に到着して、全てがガラスで出来た壁を見ながら、そこに書かれた、その方向にある外国の名前などを確認しながら、歩く。
天気が良くて良かった。大分遠くまで見渡せた。
「前の彼女と来たのが最後だよ」
「俺もだよ」
この上までは、なかなか男二人で来ようと思わないだろう、
ノンケは。
「お前今どこ住んでるの?」
「会社の近くだよ。お前は?」
この先、と友人が指をさした。
「フランスかあ、いいとこ住んでるね」
「だろ?」
自分達のあの頃の会話を取り戻す。
タワーから下りて、展望デッキに出た。そろそろ自分達を落ちて来た太陽が色濃く染めだした。
「なあ、ユノ」
「なに?」
デッキの柵に腕をかけて外を眺めながら友人が言う。呑気な細い目が更に遠くを見るように狭められた。
「俺、実家帰ろうかと考えてんだ」
涼しい緑の風が自分達をそよぐ。これは夏の匂いだ。
俺も同じように柵に腕をかけて凭れながら、眼下に拡がるソウルの町を一望した。
あの向こうには、あいつの住む町、俺の好きだった映画館のある、引大がある。
「いつ?」
もう田舎から出て来た自分達の同級生は、その殆どが帰って行った。
「具体的には考えてないけど、一人でいるのに疲れてきた」
溜息をつくのはこいつだろうに、俺の方がついてしまった。
「考え直せよ。折角こっちで就職できたんだから」
この就職難で、汝矣島で指折りの大きな会社に就職した友人は俺なんかよりもずっと、恐らく同級生の中で一番の出世株だ。
そしてこいつは、俺と同じ郷里から出て来た同志だった。
同じ景色を眺めながら、でももしかしたら目に入ってはいなかったのかもしれないけれど、友人が言う。
「あの頃に、戻りたい……」
この台詞を自分達は一体何回聞くんだろう。
ドラマや映画に出てくる陳腐な台詞は、実生活で使われると、時にとても人を切迫させる。
でもそれを素直に言える人間が俺は羨ましかった。
「まだ若いだろ」
陳腐な台詞で返して笑った。
でもあの頃とは違う。
適齢期に伴侶のいない虚しさは、不安としてのしかかってくる。
それでも決定的に違うのは、俺にはそれが一生つきまとってくると言う事だ。
きらきらしていた頃にも、条件は同じだったはずなのに、あの頃にはこんな寂しさが待っているなんて想像つかなかった。
「若いかな?」
こっちに向いた。
「若いよ」
「息切れしてたのどいつだよ」
呑気な顔が俺を冗談っぽく睨んだ。
それに噴き出して笑う。
この陰をくまなく輝かせるような、可愛い笑顔を見たいと思った。
「いいから飲もうぜ」
「じゃあ、久しぶりにあの店行くか」
俺より背の低い友人に肩を組まれる。昨日肩を組んだ温かさを思い出した。
「いいね。スンデ食おうぜ」
社内の人間じゃなくて、もう少しだけ、距離を近づかせてみたい。
例えばこんな、休日に呼び出して肩を組めるような。
その距離で良いから、ずっと一緒にいてくれるような人間に、あいつはなってくれないだろうか。
そして、店で友人と腹いっぱいになるまで飲み食いして、そこを出る頃、
その、考えていた相手から、携帯電話にメッセージが入った。
つづく