夢の続き

東方神起、SUPERJUNIOR、EXO、SHINeeなどのBL。
カテゴリーで読むと楽です。只今不思議期。

「春に会う、迦陵頻伽 前編」(キュヒョン除隊記念)キュヒョン×イトゥク


柑橘が溶けた茶を見つめていた。透明な液体の中で、薄黄色が沈んでいる。湯気が漂っている。顔を傾けたせいで、剥がれて行くのを止められず、イトゥクは長い間静止していたが、それを反射的に右手で受け止めた。テーブルの上の茶は無事で、右手は微かに乾き出してはいるが美容液で、汚れた。顔面に貼るタイプの物は、時間が来れば勝手にずり落ちるから良い。塗るものは明らかに潤いを無くし、逆にそれが肌に良くないと焦って洗い落そうとするまで置いといてしまう。もっと、もっと、成分が浸透し、加齢で出来ようとする皺を食い止めるのではないか、枯れた肌を蘇らせるのではないか、などと考えながら、うとうとと眠りに落ちてしまうからだった。
疲労が蓄積していた。
今も右手に握りしめたまま、ぼうっと湯気を見下ろしている。茶は、冷めかけていた。仕事が、続いていく。自分に休みを取らせずに、むしろ、膨れ上がった巨大な波のように押し寄せて、頭から飲み込んでくる。もがいて、息をしようと差し上げた手が、更に大きな波に飲まれていく。どこで息をすればいいのか、それは可能なのか、分からないまま、溺れている。
けれど、仕事が殆どだったが、それが全てではなかった。疲労の根本の原因は、その仕事が、大好きであることだ。芸能人であることが、好きで好きで仕方ないのだ。そこにはイトゥクにとって沢山の価値がある。だが、疲れることは止められない。だから、絶望的だった。
それに新たな原因はと、イトゥクはふと思い出して、まだ湿っているものをキッチンの隅にある白のゴミ箱に落とし、さっとその手を洗って、マグカップを掴んだ。温かさが残っていたのもあって、一瞬疲労が軽減した。一口飲んで、柑橘の香りと甘さを感じながら、ベッドルームへ向かった。いつもの時間だった、というより、いつもの時間になったのが腹立たしい。
ドアを開くと予想通り、センサーで反応した電気の点く前に、光っていた。最近は、退役前なのもあってか、ビデオ電話で、覗き込むとやはりそうだった。苛立ったような小さな溜息を一つついて、マグカップをその横に置いた。テーブルの上で接続していた充電器のコードを取りながら電話に出た。
「もう見ました?」
第一声と共に、色白の弟が見えた。兵役前に短く揃えられた髪は、もう大分伸びている。大きな瞳の、良く開いた目が笑っていた。
イトゥクは、美容液のせいではなく、もとから艶々とした薄い唇をあけて「何を?」と苦笑しながら、耳慣れた声に聞いた。画面の向こうで、「えー、分かってますよ」と口元に手の甲をあてて、噴き出して笑ったキュヒョンが言った。イトゥクはアイドルだ。何人もいるアイドルグループの、しかもリーダーだった。画面の相手は、一番最後に入って来た一番年下のメンバーだった。もう長い間活動しているが、全員仲は悪くない。国の制度にのっとり、一八歳から二十九歳の間に二年間兵役につく。イトゥクも数年前にそれを終え、仕事に復帰した。
「分かんないって」
更に苦笑いしながら、バスローブを着たままベッドに腰を掛ける。短いが金色に近く染められた髪が耳元で音を立てた。痛んで乾いた音ではない。髪も、肌も、いつまでも二十代のように見せたくて、手入れをしている。潤った重さによるそれだった。
「本当に分からないんですか?」
画面のキュヒョンの大きな目が、一瞬、悲し気になった。楽し気には戻らないが、いつも上向きの口角だけが、力をかけて上げられている。イトゥクは、いつの間にか優しいリーダーだと言われるようになった自分が、確かに、今はそうかもしれないと優しい微笑で何も答えず、溜息をまた形の良い鼻からそっと出した。
同じ台詞を吐かれなくても、勿論分かっている。
キュヒョンは、行く一年くらい前から、急に態度に出して来た。誤解だと、思っていた。自分が、彼女と別れたから優しくしてきたのかと思っていた。もう宿舎も別々で、全員個々の仕事も持っている、事務所の中では中堅クラスのアイドルグループで、スケジュールも殆ど違う。連絡も密ではない中、キュヒョンからは良くメッセージが来るようになり、何かにつけて会う機会があった。以前からも、デビュー当時怖がらせたこともあってか、リーダーの自分にだけ敬語で接したり、最年少にも関わらず、他のメンバーにはある横柄さが、イトゥクに対してはなかった。けれど以前とは別の、距離のあるよそよそしさと言うよりは、愛情から来る丁寧さに疑問に思った。愛情の中でも、その接し方は、まるで恋愛感情のように感じたからだ。抱き締めて来たリ、腕や肩を組まれることは仲が良ければある。飯でも食べに行けば、年下なら年上の分も、皿や箸をテーブルに並べたりするのは当然だし、どんな場面でも気を使うのが常識だ。だがその方法が、いちいちイトゥクにだけ丁寧なのだ。その接し方は女性にするものだと、イトゥクは感じた。
互いに兵役があるのは、男だからだ。キュヒョンも、自分も。
会えば、にこにことすり寄って来て、そっと抱き締めて来られたり、顔を寄せて来たリ、傍からすれば、従順な弟に見えるだろう。でも、自分達はメンバーの中では距離があった。ファンやカメラの前ならともかく、メンバーしかいないような空間では必要ないし、イトゥクの顏をまるで美しいもののように見て来るのも更に必要が無い。急にそうなれば、違和感を覚えるに決まっている。
職業もあってか、外見には確かに気を使い、同年代の男よりも綺麗だという自覚もある。美容関係の仕事も来る。だけど、男は男で、女とは違う。ましてや化粧を取れば、毎日鏡の中で、「おっさんだな」と自嘲している。その自分に、今まで互いに異性としか交際している姿を見せなかったにも関わらず、恋愛感情に近いものを向けて来られると、戸惑うよりも、混乱した。しかし、今は丁度相手もいなくなり、人恋しさから起きた錯覚なだけだと、己に言い聞かせ、リーダーなのだからと動じないそぶりを続けた。
距離感もあり、未知の部分もあったからかもしれない。背もイトゥクの方が低い。もしくは、キュヒョンも相手がいなくなり人恋しくて、疑似恋愛をして遊んでいるのかもしれない。時が解決するだろうし、本当に勘違いなら一番良いと、思っていた。
だが、それでは終わらなかった。
「今日も綺麗ですよ」
「なに?ありがとう」
笑いながら、イトゥクは静かに溜息をつく。メンバーしかいないどころではなく、楽屋に二人きりなのに、肩にもたれてきたキュヒョンに言った。自分より高い180近い身長の男が甘えながら褒めて来て、肩にもたれた顔で見上げて来る。デビュー当時は黒髪だったが、もう長年染めている茶色の髪が自分に似たふわりとしたパーマをかけられている。イトゥクは久しぶりの黒髪で、キュヒョンよりは白さが無いが、コントラストで十分色白に見える肌が、痩せたせいで儚くも見えるのかもしれない、だからなのか、などと考えた。これはいつまで続くのか焦燥に駆られながらも、こんな交流も、あと少しでなくなると思うと好きにさせていた。
キュヒョンは無下にされないと分かっているからか、余裕の笑みを浮かべながら黒い瞳でじっと見つめてくる。メンバーが部屋に入って来たら、なんだかんだで他人と話したり、リーダーの自分には別の仕事もあったりして、どうせこれが限度だ、連絡が来て、数回二人で会ったりもしたが、もうそれも出来なくなるし、若干、寂しくもあるなとイトゥクも余裕を見せ、肩の弟をそのままにして携帯電話をいじりだした時だった。
「ヒョン、俺は可笑しいですか?」
そちらを向くと、キュヒョンは変わらずじっと見つめていた。その声は、男だが美しいと思う。低く何重にも重なって聞こえるような、独特なそれだ。そして、男だから、「兄さん」と言う意味のヒョンと呼ばれる。女なら、自分をそうは呼ばない。イトゥクは、一瞬、真顔になってしまったのを、直ぐに戻した。「何が?」と歯を見せて笑って、また携帯電話を見ようとした。しかし、鼓動が早くなった。キュヒョンは、間を置かずに答えてきた。
「男同士なのに、こんなにべたべたする俺は可笑しいですか?」
その答えに安堵の溜息をイトゥクはそっとついた。このくらいなら大丈夫だと、「別に可笑しくないよ」と微笑んだまま携帯電話を見た。
「本当に、そう思ってます?」
目尻に皺の寄るようになった、眼差しを再度向けた。唇の端が上向きになる口元は、相変わらず笑みを浮かべている。眩暈がするような感じがして、イトゥクは瞬きをした。この末っ子はどうするつもりだと、もう眉根は寄せられ、艶々とした唇は強張っていたが、「思ってるよ」と呟いた。
「俺は、可笑しいと思ってますよ」
自分のこと、と続けながら、黒い瞳が切なさを出した。イトゥクは鼓動が早まるのを抑えられず、瞬きした目は、今度は閉じるのが躊躇われた。信じられない顔で、自分の肩から顔を上げ、姿勢を直した弟と見つめ合った。
「可笑しいと思ってるし、自分でも信じられなかったから、それで良いと思ってたけど、ヒョンは大人だから、意見が聞きたくなりました」
背の高い弟は、自分より色白の癖に、骨ばった自分よりも男らしさを見せ、目の大きな可愛らしい顔をしているのに、急に大人びた顔を見せ、イトゥクを眺めている。いや、自分達はもう中年に近い年齢で、大人もいいところで、分別も付いた年齢で、だからそんなことはしないだろうと狼狽えた頭で、イトゥクはこちらより年相応に落ち着いた表情の相手を呆然と見返している。キュヒョンの微笑みは、冗談にはしてくれない、逃がしてくれない真面目さがあった。
「常識とか、ヒョンが困るのが分かってるから、言わなかったんじゃなくて、自分も一過性のものだと信じたかったんですよ。俺だって女の子が今でも好きだし。でもなぜか、この自分に嫌悪感が湧かない。多分、人間性がすごい魅力だと思ってるんですよね。相手にそう思うのがはじめてだから。だからもしかしたら、知らないうちに忘れてたとか、時間の解決じゃなくて、結果はともかくとして、伝えてみてもいいんじゃないかって」
もう三十路になろうとするスーツ姿の男が、まるで女に語るような優しさで、喋っている。更に年上の、男の自分に。
イトゥクは、いつもなら司会の仕事も良く任されるテンポの良い会話を繰り出す頭が、可愛がっていた弟ということ、リーダーとしての立ち回りなどと考えはじめたら、上手くやり過ごすような言葉が何も出て来ずに、
「何をっていうか、どういうこと?」
と、どうにか苦笑いで返して、失敗したと思った。それを聞いたら終わりだと言うことだけは分かった。でも、キュヒョンも一瞬面食らったような顔をして、それから寂しそうに口の端を上げ、黙った。イトゥクはその顔を見ながら、良く分からなくなった。キュヒョンの言ったことは、気が動転しているのもあって、全部は理解できなかった。だから、自分のした返事は、本当は、素直な答えだ。そうなら、分かり易く言ってほしかったんだろうかと考えて、それはどういうことなんだと、もっと混乱した。愕然とした表情を、隠すことも出来なくなった相手を助けるように、キュヒョンはゆっくりと声を出した。メンバー1の美声は、普段より低く、今はイトゥクにだけ、それに甘く響かされたのを感じた。





つづく

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